ルンタへの旅 7

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ようやくインド政府の取材許可が下り、撮影チームと合流した僕は、まずインド北部の町ムスリーに向かった。ムスリーは標高2000メートル。深い山々に抱かれ、かなたにヒマラヤを望む谷間の町である。ここには「ハッピーバレー(幸せの谷)」と呼ばれる亡命チベット人の居住区があり、ヒマラヤを越えて亡命した子供らが全寮制の学校で学んでいた。1959年インドに亡命したダライ・ラマ法王は、チベットの未来を託す子供たちの教育が何にもまして重要だと考え、インド政府に要請して、2年後、このムスリーに最初の学校をつくった。
幸運にも僕らは、学校設立の際、中心的な役割を果たしたツェリン・ドルマ・タリンさんにインタビューすることができた。タリンさんは当時79歳。チベット人女性として初めてインドに留学し、西欧文化に接した人として知られるが、中国の侵攻により家族が離散、恐怖と窮乏の中でインドに脱出した。そして残りの人生を子供たちの教育のために捧げた。彼女の数奇な運命については自伝「チベットの娘」に詳しく描かれているが、この本はチベット近代史をそのまま伝える世界的な...名著である。
学校創設の難事業をタリンさんに託したダライ・ラマ法王は、「とくに孤児の面倒をよく見るように」とタリンさんに命じたという。法王の後を追うように約10万人のチベット人がヒマラヤを越えて亡命したが、その途中で多くの人が亡くなり、たくさんの孤児がうまれていたのである。(つづく)

(写真はツェリン・ドルマ・タリンさん。タリンさんは2000年に亡くなった。1989年12月10日放送のTBS「報道特集」より)

「チベットの娘 リンチェン・ドルマ・タリンの自伝」(中公文庫/三浦順子訳)

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