ルンタへの旅 4

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    インド放浪中のラダックでチベット人に助けられた僕は、帰国後、チベットのことを一から学び、1950年に中国が侵攻してからの受難の歴史を知る。
    その頃わくわくしながら読んだのが、オーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラ―が書いた「チベットの7年」。第二次世界大戦中、インドの捕虜収容所を脱走したハラ―がヒマラヤを越えてチベットに潜入し、若き日のダライ・ラマ14世と親交を結ぶ自伝文学の傑作だが、多くの方にはブラッド・ピットが主演する映画「セブンイヤーズ・イン・チベット」の原作本と言った方がわかりやすいかもしれない。
    その後、僕は1987年にテムジンという番組制作会社の創立に参加するが、自社制作の番組企画として僕がこだわったのはダライ・ラマへのインタビューとダライ・ラマとともにインドに逃れて30年になろうとする亡命チベット人の暮らしだった。2年後、それはTBS「報道特集」に結実するのだが、はじめこの企画は困難を極めた。NHKを含め在京キー局のすべてを回ってが通らない。ダライ・ラマはタブー視されていたのである。
    調べてみると、北京に支局を置...く各メディアは、いわゆる「日中記者交換協定」なるものに縛られていることがわかった。これは日中国交回復以前に政府間で結ばれた協定なのだが、これには、‘本政府は中国を敵視してはならない  米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄さない  中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない、という「政治三原則」が明記されている。これによって中国外務省報道局は日本の報道機関の報道内容をチェックし、この「政治三原則」に抵触すると判断した場合は抗議を行い、記者の追放や常駐資格の取り消しなどの処分を行ってきた。簡単に言えば、中国に不利な報道をすれば支局が潰されるということである。だから中国政府が分裂主義者と非難するダライ・ラマの企画などとんでもない。触らぬ神に祟りなしというのが僕が放送各社に企画を持ち込んだときの大方の反応だった。
    だが1989年、転機が訪れる。世界が激動したこの年に。(つづく)

    (写真はTBS「報道特集」に出演していただいたときのダライ・ラマ法王とインド・ダラムサラで亡命チベット人を取材中の僕)


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